名古屋高等裁判所 昭和53年(う)230号 判決 1978年10月25日
被告人 堀田吉彦
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中一〇〇日を原判決の懲役刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は、被告人及び弁護人飯田泰啓名義の各控訴趣意書(なお、当審第一回公判調書中の弁護人の釈明参照)に、これに対する答弁は、検察官村田文哉名義の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用する。
一、弁護人の控訴趣意中憲法違反の論旨について
所論は、要するに、原判決が判示第二の事実に適用処断した岐阜県青少年保護育成条例(昭和三五年条例第三七号)一三条の二・一項、二〇条一号は、憲法に違反して無効である。すなわち、(1)昭和五一年の改正によつて新設された同条例の右各規定は、激増する高校生売春を防止するため、売春防止法によつては処罰されない青少年の売春の相手方となる行為を、それより下位の法形式である条例によつて処罰しようとするものであるから、憲法の予定する国法の体系を破壊する違憲の規定である。(2)同条例一三条の二・一項にいう「みだらな性行為」とは、同条項新設の経緯などに照らすと、売春の相手方となる行為だけを意味すると解されるが、かりに、右概念が右以外の形態の性行為を含むというのであれば、かかるあいまいかつ無限定な概念を構成要件の要素とする同条例二〇条一号は、憲法三一条に違反する。(3)また、右各規定は、民法上婚姻することを許された満一六歳以上の女子に対する性行為をも処罰の対象とする点において、憲法一三条に含まれた性行為の自由に対する制限として、合理性を欠き、憲法の右規定に違反する、というのである。
そこで、検討するに、所論の岐阜県青少年保護育成条例(以下、たんに本条例という。)一条に示された本条例制定の趣旨・目的等を前提として、その一三条の二・一項、二〇条一号の各規定を見ると、右各規定は、心身の発育途上にある青少年(原則として六歳以上一八歳未満の者・本条例二条、以下同じ)は、心身の未成熟又は精神と肉体の発育の程度の不均衡等から、性的な行為による不当な影響を受け易く、心身の健全な発育が害われるおそれがあることにかんがみ、その健全な保護育成という見地に立つて、青少年に対し「みだらな性行為」及び「わいせつな行為」をすることを禁止し、これに違反した者を五万円以下の罰金又は科料に処することとしたものであることが明らかである。このように、本条例の右各規定は、売春防止法による罰則が、「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものであることにかんがみ」「売春の防止を図ること」自体を目的としている(同法一条参照)のとは、その規制の趣旨・目的を全く異にし、もつぱら青少年の保護育成という見地から、その健全な発育を阻害するおそれのある前記のような行為を防遏しようとするものであるから、その規制の対象となる行為の中に、売春防止法によつては処罰されない所論のような行為が含まれるからといつて、右各規定が、売春防止法の規制と牴触するとはいえず、もとより、これが憲法の予定する国法の体系を破壊する違憲の規定であるとはいえない。所論(1)は、前記のような本条例制定の趣旨・目的を離れて、これをもつぱら売春取締り対策のための規定であると独断するものであつて、その誤りであることは明らかであり、同所論は採用できない。
次に、本条例の前記のような制定の趣旨・目的に照らすと、本条例一三条の二・一項にいう「みだらな性行為」とは、所論(2)のような青少年の売春の相手方となる行為だけでなく、青少年に対して行う、社会通念上是認されないような不倫な性行為一般を意味すると解するのが相当であるが、このように解しても、右概念が、所論のいうように、あいまいかつ無限定であるとはいえないから、かかる概念を構成要件の要素とする本条例二〇条一号の罰則が憲法三一条に違反するとはいえず、同所論も採用できない(なお、被告人が、原判示A子に対してした行為が、右の意味において「みだらな」性行為に該当することは、後に説示するとおりである。)。
さらに、本条例の右各規定によつて処罰の対象とされるのは、青少年に対して行う「みだらな性行為」及び「わいせつな行為」だけであつて、婚姻能力のある女子に対する正常な性行為まで禁止されるわけではないから、これが、国民の性行為の自由を不当に制限し、憲法一三条に違反する規定であるとはいえず、所論(3)も採用できない。
以上のとおり、原判決には、所論の憲法違反は毫も存せず、論旨は理由がない。
二、弁護人の控訴趣意中事実誤認及び理由不備の論旨について
所論は、要するに、原判決は、判示第二の事実として、被告人がA子に対し、「キスをしたりその陰部に手指を挿入して弄ぶなどし、もつて青少年に対しみだらな性行為をした」旨の事実を認定したが、本条例一三条の二・一項にいう「性行為」とは、性交そのものと解すべきところ、被告人は同女と性交していないから、被告人が同女に対し、性交以外の行為をした事実を認定しながら、これをもつて「みだらな性行為」に該当するとした原判決には、事実誤認ないし理由不備の違法がある、というのである。
そこで検討するに、原判決挙示の関係証拠を総合すると、被告人は、原判示(第二)日時・場所において、原判示A子に対し、同女が一八歳未満の青少年であることを知りながら、キスをしたり、その陰部に手指を挿入して弄ぶなどしたうえ、同女と性交し、もつてみだらな性行為をした事実を認定することができる。被告人は、捜査以来当審に至るまで、右性交の事実を否定する供述をしているが、右供述は、A子の司法警察官に対する供述調書及びB子の司法巡査に対する供述調書にてらし、信用できない。そして証拠によつて明らかな被告人とA子との面識の程度、性行為に至る経緯及び行為の状況等、とくに、被告人は、これまで電話で話したことがあるだけで一面識もなかつた当時一六歳の同女を、電話で名鉄○○○駅へ呼び出したうえ、友人の原判示C方へ連行し、そのわずか数時間の後である原判示日時ころ、右Cの内妻が同じこたつを囲んで雑魚寝する狭い四畳半の間において、同女に対し、人目もはばからず前認定のような性行為に及んだものであること、被告人は、当時、自己の所属する暴力団の団員からリンチを受けて追われる身であり、もとより同女の両親との面識などは全くなく、同女と将来結婚したり、正式に婚約したりすることは、常識上容易に考えられない立場にあつたことなど諸般の事情に照らすと、被告人の本件所為は、本条例一三条の二・一項にいう「みだらな」性行為に該当するというべきである。
ところで、原判決は、その第二事実として、所論のような事実を認定し、これによれば原判決は、性交の事実を明示していないにもかかわらず、被告人の所為をもつて同条項にいう「みだらな性行為」に該当するとしていることは、所論のとおりである。しかし、原判示事実とくに「・・・・・・などし、もつて青少年に対しみだらな性行為をした」との原判示部分を、関係証拠と比較対照して仔細に検討すると、原判決は、措辞甚だ妥当を欠くが、同条項にいう性行為すなわち性交を含む前記の事実を認定したうえ、右事実は「みだらな性行為」にあたることを判示した趣旨であると解することができる(かりに、所論のように、性交の事実がなかつたとしても、本件における被告人のその余の所為は、同条項にいう「わいせつな行為」に該当し、同じく本条例二〇条一号の罰則にふれることは明らかである。)から、原判決には、所論の理由不備・事実誤認の違法はなく、論旨は結局理由がない。
三、被告人の控訴趣意について
所論は、原判示第一の窃盗の犯行は、被告人が、暴力団員の暴行から逃れるため、やむを得ず行つたもので、被告人には、当時適法行為に出る期待可能性がなかつたから、被告人は無罪であるのに、これを有罪と認めた原判決は、事実を誤認したものである、というのである。
しかしながら、原判決挙示の証拠によれば、原判示第一の事実は、所論の期待可能性の点をも含め、すべてこれを肯認するに足り、当審における事実取調べの結果によつても、右認定を左右するに足りない。もつとも、証拠によれば、被告人は、原判示第一の犯行の直前に、自己の所属する暴力団の団員からリンチを受け、その逃走の途中において、右犯行を犯したものであることなどの事実を認めることができるが、「右窃取の際、暴力団員から現に追跡を受けており、これから逃れるためには、他に措るべき方法がなかつた」旨の所論に副う被告人の当審供述は、被告人の原審供述、捜査官に対する供述調書、さらには、証拠上明らかな被告人の右犯行後の行動などと対比し、にわかに措信するに足りず、他に、所論の事実を認めるべき証拠はない。論旨は理由がない。よつて、本件控訴は、その理由がないから、刑事訴訟法三九六条に則り、これを棄却し、刑法二一条に従い、当審における未決勾留日数中一〇〇日を原判決の懲役刑に算入し、なお、当審における訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用し、これを被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 菅間英男 裁判官 服部正明 木村明)